日本国有鉄道 労働運動史(別館)

国鉄で行われた生産性運動、通称マル生運動に関する関連資料をアップしていくブログです

生産性運動導入から、中止まで 第一一話

ながらく間が空いてしまったのですが、本日も生産性運動の頃のお話を、「国鉄を売った官僚たち」、大野光基氏の本を参考に、当時の様子などを語っていこうと思います。

生産性運動は、国鉄のあり方を変える?

国鉄の生産性運動は、それこそ最初の頃は、少し首を出した亀のような感じでスタートしたわけですが、昭和46年には、国鉄の生産性運動教育は、日本生産性本部の委託教育から国鉄の経営との一体教育となりつつありました。

前述しましたが、良くも悪くも純粋な人が多い国鉄ですので、当然と言えば当然と言えましょう。

この頃の様子を、動労の松崎委員長は

 国鉄労働者の中・高年層は、その殆どが高等小学校(現在の中学校程度)を卒業して国鉄に就職している、・・・中略・・・国鉄の職場ほど自己閉鎖的な職場は、他に類を見ないと言っても過言ではない。・・・中略・・・。
  国鉄以外に生きる場を持たない中・高年齢者が、国鉄の赤字、経営の危機を吹き込まれ、生活の基盤が今にも消滅してしまうような不安感を最初に受け付けられて、・・・中略・・・
窓も出口もないコンクリートの部屋に"マル生の"ドアだけを付けておく、その部屋から出る方法はだだ一つ。"マル生の"ドアをくぐるよりないのである。

引用:松崎明・谷恭介共著の国鉄動力車(三一書房刊)から引用

ただ、皮肉なことに、この言葉は、松崎自身が昭和57年の国鉄減量ダイヤの頃から、労使協調路線に大きく舵を切る時に、組合員に対して取った手法と同じと言えるわけで、歴史の皮肉と言えるかも知れません。

官僚的人事制度を改正すると発言するが?

 再び大野氏の、国鉄を売った官僚たちからの引用となりますが、昭和46年度経営計画が発表されました、新しい経営理念として生産性運動の理念が盛り込まれたそうですので、該当部分を引用してみたいと思います。

我々は、人間尊重の理念に基づいた経営に徹し、労使一体となって全職員が積極的に再建に参画することが必要である。このことが、ひいては国鉄の発展および職員の福祉向上につながる唯一の道でもある

と書かれており、国鉄本社としても生産性運動を前面に出して、国鉄再建をアピールしたかったのだと思われます。

元々、磯崎総裁は、政府の評価は高いほうではありませんでした、さらに、国鉄で育った純粋培養のキャリアゆえに、政治家には弱く、部下にはめっぽう高圧的な態度をとる傾向にあったことが、複数の資料などから読み取れます。

磯崎国鉄総裁

磯崎国鉄総裁

直接生産性運動の話とは関係ないのでこの辺でやめておきますが、こうして経営計画の中に生産性運動が理念として明記されたことから、管理局長並びに本社の局長の研修が行われることとなり、昭和46年5月24日~27日、第1回の研修が、さらに6月8日~11日に2回目の研修が行われました。

この研修では、管理局の欠席がほぼなかったの対して、本社局長の参加はわずか1人だけという寂しさであり、本社がいかに生産性運動を重要視していなかったことが伺えます。

こうした中で、大野氏は著書の中で、次のようにも述べています。

再び引用してみたいと思います。

6月24日に関東地区の主要現場長百数十人を集めて関東鉄道学園評議会が開かれた、私はそこで人事制度の大改革を、次のように訴えた。

「人事制度の抜本的な改革が必要です。問題は本社採用学士の処遇です。

僅か20歳代で管理局課長や現場長という重要なポストに発令されるという慣行があります。・・・・・中略・・・・その大半の原因は1,2年じーっとして事故を起こさなければ、トコロテン式に必ず栄進できるという人事制度に根本的な欠陥があると思います。

自らも本社採用の現職の本社課長が人事制度の改革を訴えるわけですから、どんな官僚組織もそうですが、壊そうという勢力に対しては当然のことながら強い圧力がかかるものです。

この発言の裏には、前述の磯崎総裁の就任関係が関係しているようで、磯崎総裁は就任直後から、

「有資格者(いわゆる本社採用(キャリア組))でないと、生涯勉強してもトップには上がれない官庁的人事を直していきたいと発言し、実際に昭和44年12月には、本社内に人事委員会を作っているのですが、結果的にはどうなったかというと人事制度を変更したら有能な人材が来なくなるかという理由で改革そのものを止めてしまったという。

何のことはない、結局こうした発言もいわゆるポーズでしかなかったわけです。

「人事改革するよ・・・でもだめだと言われたからごめんね、これ、みんなの意見だから」

的なイメージでしょうか。

仮に本気で変える気があるのであれば、そうした発言が出た時点で、総裁によるリーダーシップが発揮できるのですが、それをしていないわけで。

政府への人気取りでしかなかったと言えそうです。

最終的には、生産性運動の終焉に際しては、大野労働課長に責任を押し付ける形の終息を

 監査報告書では生産性運動の取り組みを大いに評価

昭和45年の監査報告書を参照しますと、生産性運動の取り組みを以下のようにおおいに評価しています。

以下に、昭和45年、国鉄監査報告書から引用させていただきます。

特に日本生産性本部が推進している生産性運動に関する教育が全社的に行なわれたこともあって、 職員の聞に国鉄の現状についての理解が深ま り、再建意欲は急速に向上しつつある。 これらの諸施策の実施にあたっては、 今後さらにその趣旨の徹底をはかり着実に推進する必要がある

国鉄監査報告書から引用

昭和45年度の生産性運動教育実績

国鉄監査報告書 昭和45年

国鉄監査報告書 昭和45年

 

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