日本国有鉄道 労働運動史(別館)

国鉄で行われた生産性運動、通称マル生運動に関する関連資料をアップしていくブログです

生産性運動導入から、中止まで 第一六話 鉄労組合員の増加と国労

長らく間が空いてしまいましたが、久々に更新させていただこうと思います。

今回も、鉄労友愛会議編纂の、国鉄民主化への道と、国鉄労働組合40年史を参考に書かせていただこうと思います。

最初は意識もしていなかったマル生運動

国労としても当初は、マル生運動を、得体の知れない運動ではあるが、大きな影響を及ぼさないであろうと考えていたような節があります。

実際どの程度に考えていたのかは、もう少し複数の資料を探す必要があろうかと思いますが。国鉄労働組合四〇年史を参照しますと、下記のように、マル生運動開始初期には、さほど重要視はしていなかったと書かれています。

以下、国鉄労働組合四〇年史から引用したいと思います。

「マル生」運動が、従来とはちがった得体の知れないドス黒さをもって、「国労組織の崩壊」にねらいを定め。着々と実施されていたことについて、国労は1970年の秋頃までは。それほど深刻には受け止めていなかった。もちろん、第九一回中央委員会(70.10.29~30)では、当局の「組織攻撃の多様性」にたいする「キメ細かい組織対策」の必要性、・・・中略・・・「マル生」運動にたいし、「非人道的、人権無視の行為・・・国労に対する全面的な組織破壊の挑戦」であるとの認識は、いまだ明確ではなかった。

 ところが、70年の11月から12月にかけて、国労本部にとっては。かなりショッキングな出来事がいくつかの地本で相次いで起こった

 国労四〇年史、P180~引用

ショッキングな出来事とは、国労組合員が集団で離反し、鉄労に加盟しているという事実でした。

実際、当時の鉄労は、10月1日現在で7万9,672人であり、当時の合い言葉は、来年までに組合員を10万人に持って行こうということで、鉄労としてはかなり意気軒昂であったのではないかとも容易に推測できます。

実際、この頃から国労の集団脱退、さらには鉄労への集団加入が全国的規模で拡大していったわけで、翌年の10月には10万人を突破することになりました。

国労のマル生運動への反撃

当事、国労は「スト権奪還」をテーマに。「権利討論集会」を全国で開催していたが、中央執行部の役員を急遽呼び戻し、マル生運動の対策を取るべき行動に移したと書かれています。

当時の生産性運動は、すでに他のところでも述べましたが、大きなうねりとなっており、国労自身が認めていますが、生半可な反対運動などでは到底対応できない状況に置かれていました。
そこで、国労としても、本腰を入れなければならないとして「総戦力の結集」すると書かれています。

その辺を再び、国鉄労働組合40年史から引用したいと思います。

ちょうどその頃、国労は全国各地において、「スト権奪還」をテーマに「権利討論集会」を開催していたが、・・・中略・・・やがて、その討議を経て、磯崎体制による組織攻撃は、「いまや理屈抜き、どんな小手先の対策をうってみても、対策にならない」、「今や組織の問題こそ真剣に、そして深刻にうけとめて、原則的な組織運動をすすめていく決意に立たなければならない・・・われわれの生命は組織である。国労組織に手を出す者には容赦なく、対決するキゼンたる根性を持つ必要がある」との意思統一がなされた

ここで強調されたのは、組合員に対して、「階級闘争」を全面的に打ち出してきたことでした。
従前から言われてきた良き伝統でもある、「国鉄一家」という流れを断ち切り、組合員として、階級を意識させることに注力したと書かれています。

個々で言う階級というのは、いわゆる資本家階級と労働者階級の戦いであるとして、当局側を資本家階級と見做して、組合員は労働者階級であり、搾取される側の人間であるという意識付けを行ったのでした。

こうした運動により、国労では階級闘争の意識を強烈に再認識させたと記述しています。その辺を再び、国鉄労働組合40年史から引用したいと思います。

そうした反省の上に立って、この討議では「総戦力の結果」が決意された(「生産性向上運動とわれわれはいかに闘うか」国労中央労働学校討議資料、71.1.7)から少し長いですが全文引用します。

この時期に、「組合内部における役員相互間の不団結」をみずからいましめ、「一人ひとりの組合員の階級意識」を啓発しながら、「総力戦」への意思統一がはかられたことは、少なくとも二つの重要な意義を持っていた。すなわち、この意思統一は、「柔軟策」で対応し、当局の攻撃をすり抜けようとする企業内組合にありがちな方法をとることなく、従業員意識(国鉄一家」意識)の払拭を呼びかけ、階級意識にたった労働組合運動の継続発展の方針を今一度再確認したものであった。したがって、それはまた、階級的な自覚の形成を基礎に、一人ひとりの仲間にたいする期待と信頼、さらにそれを結集した「組織の力量」にたいする期待と信頼を意味した。

「階級的組合運動」は国鉄再建の「障害物」であるとされ、「全面否定の攻撃」がかけられているさなか、その対象者である一人ひとりの組合員と国労組織が、何をもってすれば反撃に転じうるか、なんといってもそれは、仲間と組織にたいする熱い期待と信頼以外にはない。それを確認した右の意思統一は、その後の「マル生」闘争の"質”を基礎づけた。

国労四〇年史、P181~182 引用

国鉄労働組合四〇年史

国鉄労働組合四〇年史

鉄労の生産性運動に関する考え方は、後ほど詳述します。

 

続く

 

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