日本国有鉄道 労働運動史(別館)

国鉄で行われた生産性運動、通称マル生運動に関する関連資料をアップしていくブログです

生産性運動導入から、中止まで 第二十三話 国労による反マル生運動

長らく間が開いてしまいましたが、本日も生産性運動導入から中止までということでお話を進めたいと思います。

今回は、国鉄労働組合40年史を参照しながら、国労から見た生産性運動という視点から見ていきたいと思います。

国労視点で見る生産性運動は不当労働行為

国労は、左傾化した昭和30年頃から職制の分断という視点から運動を進めていたこともあり、生産性運動のように、職制と一緒になって職場を盛り上げていくと言うことは受け入れられないという雰囲気がありました。

特に生産性運動がある程度浸透してきた1970年代の秋以降は、生産性運動の研修を終えた人たちから自発的に「国鉄を守る会」、「国鉄を明るくする会」などの親睦団体が全国各地に雨後の筍のように、立ち上げられ、その加入者も増えていくのでした。

そうしたことに対して、国労では当局が、「職場管理」「労務対策」という名を借りた不当労働行為が行われたとしています。

実際には、不当なストライキや職場集会をさせないなどごく一般的なことであり、むしろ正常な労務管理だと思うのですが、それを不当だという発言には多少なりとも首をかしげざるを得ません。

また、これにより当局が直接組合を辞めさせると言うことはできませんが、鉄労が現場管理者と協調して、「守る会」などの自発的グループの国労動労組合員を鉄労に加盟させる手助けをしている・・・等々

国鉄労働組合40年史には以下のように、国鉄当局が不当労働行為を仕掛けてきたとして下記のような具体例を書いていますので、その部分を引用してみたいと思います。

天王寺鉄道管理局の「管理体制の強化につて」(これは真鍋職員局長の講義をまとめたものといわれた)は、次のような内容であった。すなわち、「マル生」運動とは、「良識ある職員を育成する運動」である。この運動を通して「職員の意識を変え、労働組合の体質改善に全力をあげる必要」がある、総裁は再建に協力しない職員と労働組合に対決する方針」であるとして、本社のバックアップがあることを明らかにした。*1従って安心して「人事権を存分に活用した管理手段」を用い、「昇給、昇格」で引き締めるなどして「惰性に流れない」、「さらに厳格な組合対策」を講じるよう呼びかけていた。

国鉄労働組合40年史 P165から引用

ただ、管理者が持っている人事権を使って、良識ある職員を育成することはむしろ企業としては当然のことだと思うのですが、その辺が階級闘争で、職制を分断していかなくてはならないという考え方の中では、良識ある職員を育成するのは困るということだったのでしょうか。

再び国鉄労働組合40年史から引用してみたいと思います。

この時期、現場向けの具体的な労務管理の指針としては、全国的に概ね次のような内容の指導が行われた。すなわち、「中間管理者(助役・指導・教導・営業・検査長など)の範囲をさらに拡大」し、特に「助役を増すことにより準管理者層を広げ」て管理体制の強化を図りたい。その管理体制ものとで現場管理の徹底をはかるためい「現場長を通じ調査・系統別部長の個別面接」を行い、「要注意者」を洗い出し。それらに対する「日常行動の監視」を実施し、他方で「良識は職員を中心にした懇談会」を開催しながら「組合の質的変化」をはかる、というものである。*2

国鉄労働組合40年史 P165から引用

 普通に考えれば、大きな問題になるとも思えず、当局としてもマル秘扱いで現場管理者に伝えられたとされていますが、運動の過程で露骨な組合誘導や、昇給・昇格を一つのきっかけとして誘導していた可能性も捨てきれず、それが組合に突っ込まれる遠因となったかもしれません。

少なくとも、磯崎氏にしてみれば財政再建は喫緊の課題であったことは間違いないのですが、いかんせん典型的な官僚型能吏ですので、どうしても政府などに意識がいっていたのではないかと推測されます。

さらに、国労の資料だけなのでなんとも言えませんが、国労の資料によれば、1971年の夏頃には、「マル生運動が何故必要なのか」と言った内容から、マル生グループの育成状況などを報告させる、方向に変わっていったと書かれています。

現場での生産性運動の重要性はどこまで理解されたのか?

たしかに、生産性運動の理念も通り一辺倒では浸透するわけもなく、何度も何度も行って初めて身につくものですので、そうした意味では、生産性運動の趣旨がマル生グループの育成などの管理体制に移行してしまったのではないかという点が気になります。

少なくとも、助役などの準管理者にしてみれば理念を問われるよりも、マル生グループを育成したとか、監視したと言った報告の方が楽ですので、逆に、監視や管理が仕事であると思ってしまう可能性はなきにしもあらずだと思うわけです。

さらに、国労としては、反合理化闘争などを行ってきているわけですから、生産性運動で生産性が上がっても、その差額は当局が吸い上げてしまうとして、生産性運動は、富の搾取だという論理展開を図って組合員を締め付けるのでした。

国鉄当局はこの点について下記のように反論しています。

国有鉄道」という冊子に「生産性運動をめぐる諸問題」という連載記事があり、その第2話で、生産性運動に関して下記のような記述があります。

再び引用してみたいと思います。

生産性運動は、労使が信頼と協力によって生産性を向上し、それをとおして福祉の向上をはかろうとする運動ですから、これに反対をすることは、イデオロギーにもとづく反対を別とすれば本当はおかしいわけで、そこには誤解があるといわざるを得ません。
*****中略*****
また第二の「労使の協力・協議」については、労使は基本的に対立するものであり、労使協議制を通じて、実質的に団体交渉を骨抜きにするものであると主張し、第三の「成果の公正配分」については、国鉄の予算制度の下では、たとえ黒字になっても勝手に賃金をふやすことができない建前になっているし、仮りにそれが可能だとしても、生産性の向上によって大きくなった、パイ、の取り分は常に使用者側の方に大きくなると主張し、三原則のいずれをとっても、国鉄にはあてはまらないものであり、そのような生産性運動は当局の不当労働行為の道具にほかならない、とまで主張しています。

昭和46年8月号 国有鉄道

昭和46年8月号 国有鉄道からキャプチャ


国有鉄道 1971年8月号生産性運動をめぐる諸問題から引用

実は、国労の見解は非常に無理があるのですが、無理を承知で運動を進めてきたのです、というのは国鉄当局は資本家階級でも何でも無いわけです。

民間企業であれば資本家がいて、労務を提供する労働者階級があるとなりますし、資本家階級は自らの利益を自ら処分することが出来ます。

翻って国鉄はどうでしょうか。

国鉄では運賃値上げも、利益の処分も国鉄総裁が行えるわけではありません。

賃上げ一つにしても、交渉権はあっても最終的にそれで妥結しない場合は仲裁裁定という公的機関の決定を持って進められるわけです。

ですから、組合も当然のことながらその辺は理解しているのですが、組合が解禁されて、そこに共産党が入り込んで、労使対決路線(いわゆる資本家階級と労働者階級の分断、ひいては暴力革命による共産党政府樹立)を持ち込んだものですから、どうしても組合としてはその方向で行かざるを得なくなったと言えそうです。

あくまでも、この辺は個人的な見解であることをお断りしておきます。

 

続く

 

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*1:(その後総裁は、国会で陳謝するとともに組合に大幅な譲歩を認めることとなり、真鍋職員局長は左遷の憂き目を追うことになるのは後述)

*2:国労的には、ここが不当労働行為に当たると判断したのかもしれませんが、監視が行き過ぎるのはどうかと思いますが、常識の範囲内は問題はないと言えないでしょうか?)