国労視点から見た、生産性運動
国労は当初は軽く見ていた生産性運動ですが、その動きは燎原の火のごとく広がりを見せ、毎月減少していく組合韻を目の当たりにして強い危機感を覚えるのですが、これといった有効打を打ち出せずにいました、そもそも国労では、生産性運動そのものについては、以下のように捉えていました。
国労から見た、生産性運動は
- 鉄労組合員の育成
- ストライキを行わせない組織の構築
- 分会組織の分断、並びに弱体化
にあると考えていました。
実際、当時の鉄労では一〇万人加入を目標に行動しており、当時の職員数は四〇万人ほどいましたので、一〇万人を達成すればかなりの力を持つことになるわけで、鉄労としてもこれは達成したい、逆に言えば子黒にしてみればなんとしても阻止したかった現実でした。
国労は周知宣伝活動を図るが
そこで、国労は、多額の広告宣伝費を使って、ここが変だよ労働運動と言ったチラシなどを作成して国鉄当局を激しく批判することとなるのですが、こうした取り組みは最初はあまり上手くいきませんでした。
上記の2枚の画像は、国鉄マルセイ闘争資料集に収録されているチラシであり、実際は色刷りだったようで、当局が発行していた生産性ニュース下図参照は、モノクロで、現場の声を届けるとして、見かけよりも質を重視した内容でした。
この時期、生産性教育を受けた国労・動労の組合員はこぞって職場での生産性運動と言うことで新たな取り組みを始めて行くことになります。
また、これに伴いストばかりする国労・動労から自らの意思で鉄労に加入する人も出てくるのですが、ここで現場の助役の中には、国労・動労を脱退させて鉄労に加盟させることが労働運動であると勘違いしたり、結果的に自主的な時間外労働(いわゆる無償の時間外労働)を強要させる傾向があると現場でも報告されることとなりました。
生産性運動が首切りに繋がるのではないかという不安
生産性運動は、一人あたりの生産性を向上させると言うことで積極的な合理化が行われることを意味するわけで、それは結果的には作業人員の削減を伴うわけです。
民間企業であれば関連事業やグループ企業への出向・転籍もありますが、国鉄では関連事業の展開なども民業圧迫の名の下、自由に振る舞えず。
結果的には雇用不安を引き起こすのではないかということを組合は懸念することとなりました。
その辺の当時の事情を「大野光基著、国鉄を売った官僚たち」から引用させていただこうと思います。
事の始まりは、生産性運動による合理化で余剰人員が出たときにどうするのか?、配転で応じるとした当局の対応に、配転はいやだとごねるものあり、そのうち配転は受け入れるべきだという意見も出る中で、今度は余剰人員=整理解雇になるのではないかという意見が出てきて、これに対して当時の本社、能力開発課長が「首切りはしない」と宣言するも中々納得してもらえなかったため、総裁談話として掲載してもらうことにしたのでした。それが以下の記述になります。
「配転には応じるべきだ」
と言う意見が出たので、しばらくは若者たちの討議にまかせた。
次に、首切りするのじゃないか、と聞いたものがある。私は、
「首切りは絶対にしない」
と言った。
「課長がしないと言っても、総裁がしないかどうか分からないじゃないか」
と言う、
中略
若者たちの言う通りだ。生産性運動が究極的に首切りになることは、何としても阻止しなければならないと私は考えた。まず、真鍋常務に話した。
「そうか」
と少し考え込んでいたが、数日後、
「それもそうだな」
と了解してくれた。磯崎総裁には真鍋から了解を取ってもらった。しかし、口頭了解だけでは安心できないので文書に残すことを考えた。
中略
三坂職員管理室長の応援もあって、次のような文章となって「鉄道広報」に掲載された。
「国鉄職員としての使命を自覚し、企業を愛し、再建に努力する職員の雇用安定には全力をつくす」
引用終わり
長くなってしまったのですが、究極の生産性運動は人減らしを行わざるを得なくなることを指摘したわけですが、これに対して東京側では、「国鉄職員としての使命を自覚し、企業を愛し、再建に努力する職員の雇用安定には全力をつくす」と言う総裁談話を引き出すこととなりました。
このように、当局としても生産性運動に対する不安を払拭するための努力は行われたのですが、結果的には、前述のように生産性運動が無償時間外労働を強要することとなり、本来の生産性運動という概念から離れていく事例も見受けられました。
結成当時から生産性運動を提唱してきた鉄労もこうした事態に関しては批判をしているのですが、国労はこれを機会に不当労働行為告発メモとして、個々に団体交渉を行うのですが、中々有効だとはなり得ませんでした。
その背景には、国労・動労の理論武装は、階級闘争の再確認であり、以前にも書きましたが、管理者以上は資本階級であるという誤った認識(管理職は経営陣ではないことは当然のことなのですが、資本階級VS労働者という構図を作り社会的分断を図っていました。)により、国労は組合員の引き留めを図ろうとしますが、まだまだ十分とは言えませんでした。
そして、国労が取ったもう一つの行動はマスコミを味方の付けることでした。
現在のようにインターネットが普及していない時代、多くの人々はテレビ・ラジオ・新聞等を通じて情報を得るわけですが、とりわけ新聞の効果は大きく、国労はマスコミを通じて反マル生運動に取り組んで行くのでした。
続く
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国鉄があった時代 JNR-era
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