長らく間が開いてしまいましたが、今回から動労と生産性運動と言うことで、動労から見た生産性運動についてお話をしたいと思います。
今回参考とするのは動労三〇年史を参考に他の資料などを参照しながら書かせていただきます。
当然のことながら、動労視点での記述ですので、動労に都合のよいように解釈されている部分が多々あるかと思いますが、その辺は割り切ってご覧いただけますことを最初にお断りしておきます。
動労が語る生産性運動とは
動労からみた生産性運動の目的は以下のように記しています。
- 生産性運動は、政府・自民t脳・国鉄当局の合理化計画は本質的矛盾(国費で行うべき設備投資を国鉄だけに添加してきたことに起因するものと思われる)による赤字体質を隠蔽するために、合理化を推進するとともに、どの挫折の責任を労働組合に負わせた。
- 労働組合の体質改善を図るべく、動労・国労組織を合理化に協力する御用組合化するべく、内部で批判させるグループを作り、組合の方針が変更されるように持って行く。
- その結果、当局側による差別弾圧攻撃となって現れ、当局側は不当労働行為や組合否認、権利侵害などが行われた。
- 鉄労は、当局の走狗として使われ、鉄労の存在意義はそれ以上でもそれ以下でも無かった。〔些か差別的な発言ですが、この運動史が編纂された1982年頃は、まさか鉄労と動労が労使協調宣言をするなど夢にも思わなかった時代でした。〕
財政的には窮地に追いやられていた動労
しかし、このような強気な形で書いているものの、実際には生産性運動が開始する前に行われた機関助士反対闘争運動自体(1968年3月~1970年)は、近代化により上記時代は必須であった機関助士が電機機関車などでは省略可能となり、これに反対する運動として組織として反対運動を行おうとするものの、二年間で102人の懲戒免職を含む30000人に以上が処分対象となり、その*1義援金だけでも約60億円〔当時の金額〕となり、当時の組合員63,000人から一人あたり給料の1.25ヶ月分を臨時徴収する必要があったと書かれています。
この結果、財政的には動労は厳しい状況に置かれていたと言います。
動労が財政的にも疲弊した状況にあるときに、当局は「生産性運動」を仕掛けるとともに、当局・鉄労とともに「動労は財政的にもうすぐ潰れる」と宣伝をして、鉄労による組合員引き抜き工作が行われた〔動労30年史P1167、マル生粉砕闘争の展開と勝利から要約〕と書かれており、かなり財政的にはきわどい状況に追いやられていたのは間違いないでしょう。
生産性運動で結成された「国鉄を良くする会」「国鉄を守る会」等当局による会が組織され、思想教育(所謂洗脳)が行われつつ有るとして、排除攻撃をしていると書いています。
このあたりは、三一書房、松崎明・谷恭介共著、国鉄動力車に比較的詳しく書かれていますので、引用してみたいと思います。
国鉄当局は、動力車労組の助士闘争に対し発表した不当処分は、解雇107名(まま)を含む26,500名という大量なもので、組合員二人に一人は何らかの不当処分を受けたことになる。これを理由に当局側は、「組合財政の危機」として宣伝し、鉄労はいまにも動力車労組が破産するといい、組合員の不安を助長させていった。*2
と有るように、動労的には機関助士闘争では、当局が鉄労と結託して組織破壊行動を取り、実際に多数の処分者を出したことで財政的にも厳しくなっていたのも事実であるが、それを当局側は組合の財政危機と煽り、鉄労は動労が危ないとして揺さぶりをかけていったと発言しています。
国鉄当局の動きに対して、動労は組織強化と運動強化で対抗
国鉄当局は、官製のサークル活動とも言える、「国鉄を守る会」「国鉄を良くする会」などを発足させますが、それに対抗すべく動労では、「小組班」「地域班」と言ったグループの整備が強化されたほか、独身寮や学園での組織化が強化され、毎月16日~22日を「不良職制追放と組織強化のための点検行動習慣」とし、29日を「反合理化・不当処分撤回行動日」とすることを決定したとされています
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国鉄があった時代 JNR-era
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