日本国有鉄道 労働運動史(別館)

国鉄で行われた生産性運動、通称マル生運動に関する関連資料をアップしていくブログです

生産性運動導入から、中止まで 第二十六話 支社制度の廃止と国鉄

久々に更新させていただきます。 直接生産性運動とは直接関係が無いのですが、生産性運動前に廃止された支社制度についても触れておきたいと思います。 支社制度とは 支社制度とは、それまでの総支配人制度に代えて、昭和32年1月16日に発足した制度でした、…

生産性運動導入から、中止まで 第二十五話 鉄労視点による生産性運動の意義

鉄労からみた、生産性運動とは 今回は、国鉄民主化への道から見ていこうと思います。 鉄労による生産性運動 国鉄当局が生産性運動の導入を行う前から、鉄労では独自の生産性運動を組織拡大の一環として取り組んでいたそうです。 国鉄内の地域・職域労組の連…

生産性運動導入から、中止まで 第二十四話 国労による生産性運動に対する本格的反撃

動労視点から見る、生産性運動の闘い 国鉄の生産性運動に関しては、決定打と言えるものが見つからず、国労も動労もじりじりと組合員を減らしていく、そんな状態でした。 特に動労は、一人乗務反対闘争などでも多くの解雇者を出しており、その救済資金なども…

生産性運動導入から、中止まで 第二十三話 国労による反マル生運動

長らく間が開いてしまいましたが、本日も生産性運動導入から中止までということでお話を進めたいと思います。 今回は、国鉄労働組合40年史を参照しながら、国労から見た生産性運動という視点から見ていきたいと思います。 国労視点で見る生産性運動は不当労…

生産性運動導入から、中止まで 第二十二話 国労による反マル生運動

長らく更新でいてきていませんでしたが、改めて更新させていただきます。 昭和46年春闘に関しては、国鉄当局としては合理化の道筋を立てたいという思いから、わざとストライキに入らせようとした節もあったようで、公労協がスト回避のための調停案を出そうと…

生産性運動導入から、中止まで 第二一話 国労による反マル生運動

今回も、生産性運動に関するお話を、鉄労の「国鉄民主化への道」並びに、大野光基氏の「国鉄を売った官僚たち」を参考にしながら、他の資料なども参照して、お話を進めさせていただきます。 国労は、マスコミを利用して生産性運動に対抗することに 国労は、…

生産性運動導入から、中止まで 第二〇話 国労による反マル生運動

組合員の大量脱退で焦る国労本部 今回は、国労の反撃という点に絞って、何回かに分けてお話をしていこうと思います。 生産性運動は、燎原の火のごとくと表現されるほど、現場に浸透していきました。 国労は、当初は生産性運動に関しては熱心の取り組んでいま…

生産性運動導入から、中止まで 第一九話

今回から、大幅に時間を戻して、再び昭和46年3月まで時間を巻き戻したいと思います。 今回も、鉄労編纂、「国鉄民主化の道」を参考に、関連する資料等があれば、それも併せてアップしていきます。 生産性運動はどのような経緯で導入されたのか? 国鉄が生産…

生産性運動導入から、中止まで 第一八話

鉄労の運動史と、国労の資料などを参照しながら綴っていきたいと思います。 本日も主たる資料を、鉄労の、国鉄民主化の道を参照しながら随時、国労40年史を参照しながらアップさせていただこうと思います。 はじめに 今回は、直接マル生運動の話と言うよりも…

生産性運動導入から、中止まで 第一七話 鉄道労組のマル生運動への考え方

久々に更新になります。 今回は、鉄労の生産性運動に関する考え方について書いてみたいと思います。 今回は、鉄労友愛会議編、国鉄民主化の道から引用してみたいと思います。 生産性運動と鉄労 鉄労は、元々労使協調路線でスタートした組合と言うことも有り…

生産性運動導入から、中止まで 第一六話 鉄労組合員の増加と国労

長らく間が空いてしまいましたが、久々に更新させていただこうと思います。 今回も、鉄労友愛会議編纂の、国鉄民主化への道と、国鉄労働組合40年史を参考に書かせていただこうと思います。 最初は意識もしていなかったマル生運動 国労としても当初は、マル生…

生産性運動導入から、中止まで 第一五話 全施労結成

今回も、鉄労友愛会議、国鉄民主化への道を参照しながら、適宜他の資料も参照しながら、お話を進めたいと思います。 国労は一貫して、マル生運動に対して対立姿勢 国労では、昭和45年4月11日から始まった生産性運動は、当初のは無視を決め込んでいた国労です…

生産性運動導入から、中止まで 第一四話 国労のマスコミ操作と新組合の結成

国鉄の生産性運動は、現場レベルで盛り上がりを見せており、以前から国労を脱退して、鉄労にと言う流れはありましたが、【動労も同様】生産性運動以降はその流れが顕著となりつつ有りました。 今回は、鉄労友愛会議の「国鉄民主化への道」を参考に書かせてい…

生産性運動導入から、中止まで 第一三話 盛上がる生産性運動

生産性運動は確実に国鉄の職場で定着しつつあったが 国鉄当局の生産性運動は、順調に進み、生産性運動を受けた職員が職場に帰り、自ら実践し、そして周りの人を巻き込んでいくようになったとしています。 その辺は、昭和45年度の国鉄監査報告書に下記のとお…

生産性運動導入から、中止まで 第一二話

幹部は、生産性運動に無関心 管理局の幹部も生産性運動は今ひとつ無関心でしたが、それ以上に無関心だったのは国鉄本社のキャリア組と呼ばれるグループでした。 国鉄の本社採用と言えば、いわゆる官僚コースであり、超スピード出世が約束されている存在で有…

生産性運動導入から、中止まで 第一一話

ながらく間が空いてしまったのですが、本日も生産性運動の頃のお話を、「国鉄を売った官僚たち」、大野光基氏の本を参考に、当時の様子などを語っていこうと思います。 生産性運動は、国鉄のあり方を変える? 国鉄の生産性運動は、それこそ最初の頃は、少し…

生産性運動導入から、中止まで 第一〇話

引き続き、生産性運動運動時代のお話をさせていただこうと思います。生産性運動に関しては、改めて「国鉄を売った官僚たち」、並びに「国鉄民主化への道」から見ていこうと思います。 生産性運動は、現場管理者に十分理解されていたのか? この時期、国鉄本…

生産性運動導入から、中止まで 第九話

> 実際には、国労幹部クラスは当局の幹部と癒着して行くのですが、その辺のお話は次回にさせていただこうと思います。 現場で盛り上がる生産性運動の実践的活動 当時の生産性運動の実践的活動はどのようなものだったのでしょうか、生産性運動の実践活動は、…

生産性運動導入から、中止まで 第八話

本日も、生産性運動導入から、中止までの第八話として。お話を進めさせていただこうと思います。 参照しているのは、「国鉄を売った官僚達たち」、鉄労編纂の「国鉄民主化への道」などを参照しながら。書かせてもらっていきます。 マル生運動の成果?スト破…

生産性運動導入から、中止まで 第七話

今回も、生産性運動に関して、今回も大野氏の本を底本として、私なりの解説などを加えさせていただこうと思います。 生産性運動は、現場の若手を中心に盛り上がりを見せ、鶯谷駅における朝ラッシュ時、鴬の声を流すのは、当時の駅員からのアイデァであるとさ…

生産性運動導入から、中止まで 第六話

前回は、「管理局による温度差、さらには管理局の非協力な部分がネックとなるのですが。その辺はまた次回にお話をさせていただこうと思います。」 と言うことだったのですが、実際の生産性運動の実践効果はいかほどのものであったのか、再び「国鉄を売った官…

生産性運動導入から、中止まで 第五話

>国鉄本社の幹部にもこうした生産性運動等には関心がない人も数多くいたことも事実でした。 しばし開けてしまいましたが、久々に投稿させていただきます。 今回も、「国鉄を売った官僚たち」大野光基氏の本を参照しながら当時の生産性運動を振り返ってみたい…

生産性運動導入から、中止まで 第四話

組合の分析も全く的外れとも言えないのですが、結果的には多くの職員が、国労・動労を離れ、鉄労に移籍することとなっていくことになるのですが、この辺は、次回に書かせていただきます。 と書かせていただきましたが、その前に生産性運動に関するエピソード…

生産性運動導入から、中止まで 第三話

昭和44年から試験的に始められた生産性運動は、順調に進められることとなり、昭和45年だけで約二万人が研修を受けることとなりました。 その反面、国労・動労も生産性運動を批判的に考えていました 生産性運動は現場では積極的に開催されることに 生産性…

生産性運動導入から、中止まで 第二話

管理局への生産性運動の導入 生産性運動は、先にも記しましたように、昭和45年4月11日から始まるのですが、生産性運動の理念を理解した職員が現場に戻っても、肝心の管理局に生産性運動を理解していないと、元の木阿弥になってしまうことから、研修生の中か…

生産性運動導入から、中止まで 第一話

生産性運動が正式にスタートしたのは、昭和45年4月11日で、現場の意識改革と言うことで生産性本部の協力を得てスタートするのですが、概略を最初に述べさせていただきます。 生産性運動の開始から終焉までの概略 1) 生産性運動を行おうとした背景 そこには…

生産性運動導入前夜、民間で先行した生産性運動

生産性運動は、昭和45年当時、民間では殆どの会社が参加していた 生産性運動の理念は、繰り返しになりますが、富の再配分であり、労働者からの搾取というものではないことは、すでに書きました。 そして、全繊同盟、新産別、全国自動車、鉄鋼労連など、春闘…

マル生運動は何時から始まったのか?

生産性運動は、昭和45年3月国鉄本社内で議論され、3月24日に常務会で最終決定がなされ、3月25日に日本生産性本部に文書で3箇年計画書と共に送付されましたので、3月24日を国鉄生産性運動のスタートとみることが出来ます。 なお、生産性運動とい…

マル生運動が導入された背景は?

国鉄はどのような経緯でマル生運動を導入したのでしょうか。 マル生運動を理解するためには、何故マル生運動が必要になったのかと言うことで、昭和30年代までさかのぼる必要がありそうです。 国鉄の労使関係は、昭和40年だから一気に悪化したと言う印象を持…