日本国有鉄道 労働運動史(別館)

国鉄で行われた生産性運動、通称マル生運動に関する関連資料をアップしていくブログです

生産性運動導入から、中止まで 第二十四話 国労による生産性運動に対する本格的反撃

動労視点から見る、生産性運動の闘い

 

国鉄の生産性運動に関しては、決定打と言えるものが見つからず、国労動労もじりじりと組合員を減らしていく、そんな状態でした。

特に動労は、一人乗務反対闘争などでも多くの解雇者を出しており、その救済資金などもあり、財政的にはかなり厳しい状態に追い込まれたとも言われています。

動労は、電気機関車ディーゼル機関車の機関助士廃止を既得権益の剥奪であるとして、強力な運動を続けていましたが、最終的にはEB装置などの導入、ATSの整備などで対応できるとし、当局に押し切られる形となり、むしろその間の処分などで、当時の組合員全員から1.25ヶ月分の臨時徴収をする必要があるほどの資金(解雇者への救済金など)が必要とされました。

その辺を、動労運動史に以下のように記述されています。
少し長いのですが、全文引用させていただきます。

動労30年史(上巻)第二節「マル生」紛争闘争の展開と勝利から引用

国鉄当局は1968年(昭和43年)から69年(昭和44年)にわたる2カ年間に、解雇102人を含んだ3万人に及ぶ大量処分を発令した。それは「機関助士廃止」という大合理化に反対した闘いに対するものであったが、これによって受けた財政上の打撃は、当時の犠救規則を適用するだけでも60億円となり、63,000人の組合員から一人当たり、給料の1.25か月分の臨時徴収を必要とするものであった。

 マル生攻撃は、この財政上の先制攻撃をかけた後に行われた。当局と鉄労は「動労は財政的にもうすぐつぶれる」と大宣伝をしながら、組合員の引き抜き攻撃をかけてきた。事実この財政上の打撃は簡単に再現できるものではなかった。解雇者への打切補償を8年間の分割払いとし、組合専従者は解雇者を充当し、・・・・中略・・・しかも全国各地では組合脱退が相次ぎ、60億円の打撃は組織の維持すらおぼやかしながら大きくのしかかってきたのであった。

と記述されているように、動労はマル生運動前の既得権を守る闘い(機関助士廃止闘争)でかなり疲弊しており、マル生反対運動は正に組織存亡をかけた闘いであったと記載されています。

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動労30年史

国鉄を守る会は鉄労が主導で自発的に誕生した組織

国鉄を守る会」「国鉄を再建する会」など鉄労を中心とするグループが自然発生的に誕生するのですが、動労はこれを当局主導で作られた官制の組織であるとして、これを厳しく非難しています。

さらに、動労は、組合員の自覚を求めるとともに、組織の引き締めを図るため、「小組班」「地域班」の整備と強化や、「独身寮」「学園」の対策強化が打ち出すとともに、毎月16日から22日を「不良職制追放と組織強化のための点検行動週間」とするとともに、毎月29日には「反合理化・不当処分撤回行動日」とすることを決定したとされています。

ここで動労もキーワードとして、「反合理化」という言葉が出てきますが、国労動労も基本的には合理化反対を運動方針に上げていました。

合理化で、仕事の量が減る→合理化による人員の削減→組合員の減少

を危惧したようです。

実際、機関士は、駅員などと異なりその養成に時間がかかることから、国労などと比べて締め付けは厳しかったのではないでしょうか。

こうした運動は、国労以上に動労が過激であり要因となったのではないかと考えてしまいます。

生産性運動に関する動労の見解は?

国労にしろ、動労にしろ生産性運動はいわゆる思想教育であり、いわゆる洗脳であるというのが基本的な考え方でした。

それ故に、昭和46年(1971年)1月25日には、山田副総裁・真鍋労務担当理事と会見して以下のような申し入れを行ったそうです。

「生産性向上運動に名を借りた団結権の侵害や組合に対する不当介入を即時中止せよ」と申し入れるとともに、全国で行われている生産性運動の実態を明らかに地本や各支部をに指示を出しています。

この辺は、鉄労から見る生産性運動とは真逆の立場になりますので、混同されないようお願いします。
国労動労も生産性運動は先述の通り、思想教育であるというのが基本的な考え方であり、鉄労が自発的に、「国鉄を守る会」「国鉄を再建する会」を結成するなど、自主的に再建を目指そうとしていったのとは、真逆の方向性と言えます。

後述しますが、生産性運動は実際には国労動労等が批判しても、脱退していく組合員が多かったわけで、この辺を動労は鉄労による引き抜き攻撃であると批判していますが、少なくとも本気で国鉄を変えていこうという動労内の、「同志会」のメンバーのような人は、生産性運動にはシンパシーを感じていたのではないでしょうか。

実際、生産性運動の本格的導入前の運転指導者研修(昭和44年11月19日から開催されたもので、この研修をベースに生産性運動が本格的に導入されることになりましたが、こうした研修を受けた人たちが、「国鉄を愛する会」メンバー等を中心として「一日会」などが発会と言うことで、鉄労に加盟しやすくなる土壌は出来ていたと思われます。

こうして、現場段階では生産性運動の理念をどのように理解するか、より素直に受け入れた人ほど、動労国労からの脱退を感じることとなり、その反面それを是としない考え方に偏っている人からすれば、こうした行動は完全に潰す(左翼的発言では、粉砕)べきであるとしています。

  

続く

 

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