日本国有鉄道 労働運動史(別館)

国鉄で行われた生産性運動、通称マル生運動に関する関連資料をアップしていくブログです

生産性運動と動労 動労から見た生産性運動とは 第1話

長らく間が開いてしまいましたが、今回から動労と生産性運動と言うことで、動労から見た生産性運動についてお話をしたいと思います。 今回参考とするのは動労三〇年史を参考に他の資料などを参照しながら書かせていただきます。 当然のことながら、動労視点…

生産性運動前後の国労の動き、動労の動きを中心に(EL・DL一人乗務反対闘争)第七回

久々にアップさせていただきます。 今回は動労の三〇年史を参考に、アップさせていただきます。 動労は、ヨンサントウのダイヤ改正に向けて合理化反対闘争の観点から、当局が示した、5万人要員合理化案の撤回を求めて1968(昭和43)年6月10日、当局に合理化…

生産性運動前後の国労の動き、動労の動きを中心に(EL・DL一人乗務反対闘争)第六回

ほぼ5ヶ月ぶりに更新になります。 長らく開けてしまって申し訳ございません、動画の作成なども重なり中々時間がとれなかったと言い訳をしておきます。苦笑 動労の行った機関助士反対闘争は、それまでの機関助士の処遇をどうするのかという問題もあり、国労…

生産性運動前後の国労の動き、動労の動きを中心に(EL・DL一人乗務反対闘争)第五回

ほぼ一ヶ月ぶりに、一人乗務反対闘争の記事をアップさせていただきます。 今回も、動労の資料、動力車乗務員史をベースに、当局側の視点、鉄労の視点などを絡めながらお話を進めさせていただきます。 今回引き続き、動労三〇年史から引用を行いながら、お話…

生産性運動前後の国労の動き、動労の動きを中心に(EL・DL一人乗務反対闘争)第四回

いよいよ本題である、機関助士廃止反対闘争に入っていきたいと思います。 今回参照するのは、動労の年史 動労三〇年史を参考にしながら検討を進めていきたいと思います。 反対闘争のきっかけは、ヨンサントウとも深い関係が 国鉄では、動力近代化を進める中…

生産性運動前後の国労の動き、動労の動きを中心に(EL・DL一人乗務反対闘争)第三回

長らく開けてしまいましたが、生産性運動前に行われたEL・DL一人乗務反対闘争のお話をさせていただきます。 此処で参考にしたのは、当局が編纂した国有鉄道と呼ばれる雑誌を参考に、一部国労・鉄労・動労の資料等を参照しながら記してみます。 当時の動労は…

生産性運動前後の国労の動き、動労の動きを中心に(EL・DL一人乗務反対闘争)第二回

2ヶ月ほど放置状態になっていました。 申し訳ありません、今回も国鉄の生産性運動前後の国労、動労の動きと言うことでお話をさせていただこうと思います。 動労の松崎委員長とは 動労と言う組合は、国鉄末期には革マル派という答えが返ってくるかも知れませ…

生産性運動前後の国労の動き、動労の動きを中心に(EL・DL一人乗務反対闘争)

動労と生産再運動と言うことを検討する前に、もう少し時代を遡って、動労による機関助士反対闘争についてもう少し掘り下げて考えてみたいと思います。 動労の行った機関助士反対闘争とはどのようなものだったのか? 動労による機関助士反対闘争は、昭和42年3…

生産性運動前後の国労の動き、動労の動きを中心に

久々に更新させていただこうと思います。 生産性運動に対して有効打を打てないままの国労にあって、国労はこの後動労と一緒に反撃に出るわけですが、ここで少しだけ寄り道して、当時の組合を取り巻く事情を考慮してみたいと思います。 生産性運動への反対は…

生産性運動導入から、中止まで 第二十九話 国労による生産性運動の反撃 国労権利闘争史から 第2回

国労視点から見た、生産性運動 国労は当初は軽く見ていた生産性運動ですが、その動きは燎原の火のごとく広がりを見せ、毎月減少していく組合韻を目の当たりにして強い危機感を覚えるのですが、これといった有効打を打ち出せずにいました、そもそも国労では、…

生産性運動導入から、中止まで 第二十八話 国労による生産性運動の反撃 国労権利闘争史から

今回は、国労編纂のより、国鉄労働組合四〇年史を参照しながら、生産性運動に関しての国労の言い分を見ていきたいと思います。 生産性運動と深刻な国労離れ 生産性運動は、職員の意識改革を図るものということで、国労・動労から脱退して鉄労に加盟する組合…

生産性運動導入から、中止まで 第二十七話 国労による生産性運動の反撃 国労権利闘争史から

はじめに 生産性運動は、赤字経営に陥った国鉄を改善するための方策として導入された再建計画の一環でありました。生産性を向上させることで、職員一人当たりの生産単価を引き上げることで財政を改善すると言うことは、至極当たり前と言えば当たり前のことな…

生産性運動導入から、中止まで 第二十六話 支社制度の廃止と国鉄

久々に更新させていただきます。 直接生産性運動とは直接関係が無いのですが、生産性運動前に廃止された支社制度についても触れておきたいと思います。 支社制度とは 支社制度とは、それまでの総支配人制度に代えて、昭和32年1月16日に発足した制度でした、…

生産性運動導入から、中止まで 第二十五話 鉄労視点による生産性運動の意義

鉄労からみた、生産性運動とは 今回は、国鉄民主化への道から見ていこうと思います。 鉄労による生産性運動 国鉄当局が生産性運動の導入を行う前から、鉄労では独自の生産性運動を組織拡大の一環として取り組んでいたそうです。 国鉄内の地域・職域労組の連…

生産性運動導入から、中止まで 第二十四話 国労による生産性運動に対する本格的反撃

動労視点から見る、生産性運動の闘い 国鉄の生産性運動に関しては、決定打と言えるものが見つからず、国労も動労もじりじりと組合員を減らしていく、そんな状態でした。 特に動労は、一人乗務反対闘争などでも多くの解雇者を出しており、その救済資金なども…

生産性運動導入から、中止まで 第二十三話 国労による反マル生運動

長らく間が開いてしまいましたが、本日も生産性運動導入から中止までということでお話を進めたいと思います。 今回は、国鉄労働組合40年史を参照しながら、国労から見た生産性運動という視点から見ていきたいと思います。 国労視点で見る生産性運動は不当労…

生産性運動導入から、中止まで 第二十二話 国労による反マル生運動

長らく更新でいてきていませんでしたが、改めて更新させていただきます。 昭和46年春闘に関しては、国鉄当局としては合理化の道筋を立てたいという思いから、わざとストライキに入らせようとした節もあったようで、公労協がスト回避のための調停案を出そうと…

生産性運動導入から、中止まで 第二一話 国労による反マル生運動

今回も、生産性運動に関するお話を、鉄労の「国鉄民主化への道」並びに、大野光基氏の「国鉄を売った官僚たち」を参考にしながら、他の資料なども参照して、お話を進めさせていただきます。 国労は、マスコミを利用して生産性運動に対抗することに 国労は、…

生産性運動導入から、中止まで 第二〇話 国労による反マル生運動

組合員の大量脱退で焦る国労本部 今回は、国労の反撃という点に絞って、何回かに分けてお話をしていこうと思います。 生産性運動は、燎原の火のごとくと表現されるほど、現場に浸透していきました。 国労は、当初は生産性運動に関しては熱心の取り組んでいま…

生産性運動導入から、中止まで 第一九話

今回から、大幅に時間を戻して、再び昭和46年3月まで時間を巻き戻したいと思います。 今回も、鉄労編纂、「国鉄民主化の道」を参考に、関連する資料等があれば、それも併せてアップしていきます。 生産性運動はどのような経緯で導入されたのか? 国鉄が生産…

生産性運動導入から、中止まで 第一八話

鉄労の運動史と、国労の資料などを参照しながら綴っていきたいと思います。 本日も主たる資料を、鉄労の、国鉄民主化の道を参照しながら随時、国労40年史を参照しながらアップさせていただこうと思います。 はじめに 今回は、直接マル生運動の話と言うよりも…

生産性運動導入から、中止まで 第一七話 鉄道労組のマル生運動への考え方

久々に更新になります。 今回は、鉄労の生産性運動に関する考え方について書いてみたいと思います。 今回は、鉄労友愛会議編、国鉄民主化の道から引用してみたいと思います。 生産性運動と鉄労 鉄労は、元々労使協調路線でスタートした組合と言うことも有り…

生産性運動導入から、中止まで 第一六話 鉄労組合員の増加と国労

長らく間が空いてしまいましたが、久々に更新させていただこうと思います。 今回も、鉄労友愛会議編纂の、国鉄民主化への道と、国鉄労働組合40年史を参考に書かせていただこうと思います。 最初は意識もしていなかったマル生運動 国労としても当初は、マル生…

生産性運動導入から、中止まで 第一五話 全施労結成

今回も、鉄労友愛会議、国鉄民主化への道を参照しながら、適宜他の資料も参照しながら、お話を進めたいと思います。 国労は一貫して、マル生運動に対して対立姿勢 国労では、昭和45年4月11日から始まった生産性運動は、当初のは無視を決め込んでいた国労です…

生産性運動導入から、中止まで 第一四話 国労のマスコミ操作と新組合の結成

国鉄の生産性運動は、現場レベルで盛り上がりを見せており、以前から国労を脱退して、鉄労にと言う流れはありましたが、【動労も同様】生産性運動以降はその流れが顕著となりつつ有りました。 今回は、鉄労友愛会議の「国鉄民主化への道」を参考に書かせてい…

生産性運動導入から、中止まで 第一三話 盛上がる生産性運動

生産性運動は確実に国鉄の職場で定着しつつあったが 国鉄当局の生産性運動は、順調に進み、生産性運動を受けた職員が職場に帰り、自ら実践し、そして周りの人を巻き込んでいくようになったとしています。 その辺は、昭和45年度の国鉄監査報告書に下記のとお…

生産性運動導入から、中止まで 第一二話

幹部は、生産性運動に無関心 管理局の幹部も生産性運動は今ひとつ無関心でしたが、それ以上に無関心だったのは国鉄本社のキャリア組と呼ばれるグループでした。 国鉄の本社採用と言えば、いわゆる官僚コースであり、超スピード出世が約束されている存在で有…

生産性運動導入から、中止まで 第一一話

ながらく間が空いてしまったのですが、本日も生産性運動の頃のお話を、「国鉄を売った官僚たち」、大野光基氏の本を参考に、当時の様子などを語っていこうと思います。 生産性運動は、国鉄のあり方を変える? 国鉄の生産性運動は、それこそ最初の頃は、少し…

生産性運動導入から、中止まで 第一〇話

引き続き、生産性運動運動時代のお話をさせていただこうと思います。生産性運動に関しては、改めて「国鉄を売った官僚たち」、並びに「国鉄民主化への道」から見ていこうと思います。 生産性運動は、現場管理者に十分理解されていたのか? この時期、国鉄本…

生産性運動導入から、中止まで 第九話

> 実際には、国労幹部クラスは当局の幹部と癒着して行くのですが、その辺のお話は次回にさせていただこうと思います。 現場で盛り上がる生産性運動の実践的活動 当時の生産性運動の実践的活動はどのようなものだったのでしょうか、生産性運動の実践活動は、…