日本国有鉄道 労働運動史(別館)

国鉄で行われた生産性運動、通称マル生運動に関する関連資料をアップしていくブログです

生産性運動導入から、中止まで 第二十七話 国労による生産性運動の反撃 国労権利闘争史から

はじめに

生産性運動は、赤字経営に陥った国鉄を改善するための方策として導入された再建計画の一環でありました。
生産性を向上させることで、職員一人当たりの生産単価を引き上げることで財政を改善すると言うことは、至極当たり前と言えば当たり前のことなのですが。

昭和40年代頃から国労が取り入れた、職場の中に労働運動を、更には階級闘争と言う概念(管理者以上は資本家階級(ブルジョアジー)であり、組合員は労働者階級(プロレタリアート)であるという概念は、国鉄の大家族主義を分断するにための道具として機能してきたと言えます。

国鉄が導入した生産施運動は生産性本部が関わって教育を開始したときは十分な効果を発揮していったのですが、その後生産性運動を国鉄独自の施策として取り組むようになった頃からその雲行きが怪しくなっていきました。
すなわち、学園での自主的な生産性運動の展開で一気に水平展開を図ろうとしたわけですが、その結果は一部助役が、生産性運動の本来の趣旨を理解せず、生産性運動を組合自身で取り組んで来た、鉄労に加入させることが生産性運動であると短絡的に理解した管理者(助役)が居たこと。

さらに、悪いことに、そうした発言をマスコミに録音されてしまったという問題がありました。

当時普及しだしていたカセットレコーダーに録音されていたようで、国労の運動に賛同する新聞記者によりリークされたものであったと記憶しています。

こうした経緯を経て、国鉄総裁が国会で陳謝することとなり、最終的には生産生運動の方針を見直す為中止(実質的な廃止)に追い込まれるわけですが、その辺の事情などを

国労が編纂した、国鉄マル生闘争資料集等から参照しながら、何回かに分けてアップさせていただこうと思います。

国労が本格的な反撃に出ることに

国労の考え方に基づく生産性運動とは

生産性運動に関しては、日本生産性本部が3原則を提唱していますが

  • 生産性の向上は究極において雇用を増大する
  • 生産性向上のための具体的な方式は、労使協力して研究、協議する
  • 生産性向上の諸成果は、経営者、労働者、消費者に公正に分配される

となっており、生産性運動は単純に人減らしをするものではなく、特に第一項の「

生産性の向上は究極において雇用を増大する」はその後段には、以下のように書かれています。

過渡的な過剰人員については配置転換などで、可能な限り失業を防止する。

とあり、合理化による人員削減という原則は貫かれていないのですが、国労では、生産性運動を以下のように捉えていたようです。

 

  • 生産性の向上は究極において雇用を増大する→今まで以上に業務の近代化、合理化に」努力し生産性の向上に努めなくてはならない。それには、思い切った要員規模の縮減、新規採用者の抑制、配置転換等が必要である
  • 生産性向上のための具体的な方式は、労使協力して研究、協議する→現状に目を向け、労使が協調して生産性を高めていくこと、新しい国鉄を作っていくことを強調している
  • 生産性向上の諸成果は、経営者、労働者、消費者に公正に分配される→国鉄労使に残された大きな課題であり、今後の国鉄職員の給与決定方式を含めて、どうあるべきかは現在のところ具体的には語れないとしており、ベアなどは職員の再建努力次第であるとして、ストライキでは賃金は上がらないと国労動労を牽制した

と有るように、国労としてはあくまでも、闘争による賃金の獲得であり、労使協調という点に関しては、こちらも受け入れられないとするのが基本的な考え方であったことが窺えます。
実際、職場に労働運動をと言うことで、現場協議制を導入させた訳ですから、国労とすればそれを簡単に撤回することは中々できない相談であったと言えましょう。

国労権利闘争史

さらに、国労としては生産性運動が精神運動であるとして、以下のように批判しています。
引用してみたいと思います。
生産性とは、「なによりも精神の状態であり、現存するものの進歩、あるいは普段の改善をめざす精神状態である。それは今日は昨年よりも、よりよくなし売るという確信であり、更に明日は今日にまさるという確信である。」それはまた、「条件の変化に、経済社会生活を普段に適応させていくことであり、新しい技術と新しい方式を応用せんとする不断の努力であり、人間の進歩に対する信念である。」このような「信念」に基づいた「人類の福祉向上」が生産性運動の基本理念である。(『生産性運動研修』日本国有鉄道

と書かれているように、生産性運動をいささか精神論的に捉えているようにも見受けられますし、国労は、当局は「合理化」の居反対し手行くような組合【国労動労自身を指す】組合は障害物として認識し、生産性運動を是認し、合理化を容認する、鉄労は、味方であると書いていることからも判るように、国労にしてみれば、生産性運動云々もありますが、それ以上に反合理化を旗印に掲げ、当局と対抗してきた国労動労にしてみれば、生産性運動を進めようとする鉄労は当局の片棒を担いでいる御用組合だという論理に至っていることが判ります。

マル生運動は神がかりのような儀式と批判

国労は、生産性運動が電灯を消した中で異様な興奮状態を生み出して、職員に対して精神・思想教育が行われたとして激しく批判していますが、実際には国労でも同じようなシチュエーションで、同じような国労の研修を行っており、それはお互い様ではないかと、大野光基氏の著書、「国鉄を売った官僚たち」で痛烈に批判しています。

国労の言い分を再び引用してみたいと思います。

教育を実施する態様は、「目標の神格が最高で、大手に自発的にその目標に対する使命感を抱かせるよう感動的に誘導する」方法がとられた。たとえば、中央鉄道学園では4泊5日の研修が行われたが、伝統を消しローソクの明かりの中で、バックミュージックを静かに流し、"職場に帰って核分裂を起こそう" "オレが間違っていた。赤字国鉄を再建せにゃ”といった熱狂的雰囲気で最後の夜を結んだ(『朝日新聞」71.5.16)このように常軌を逸したやり方で精神・思想教育が行われたのあった。

続く

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