日本国有鉄道 労働運動史(別館)

国鉄で行われた生産性運動、通称マル生運動に関する関連資料をアップしていくブログです

生産性運動導入から、中止まで 第二十八話 国労による生産性運動の反撃 国労権利闘争史から

今回は、国労編纂のより、国鉄労働組合四〇年史を参照しながら、生産性運動に関しての国労の言い分を見ていきたいと思います。

生産性運動と深刻な国労離れ

生産性運動は、職員の意識改革を図るものということで、国労動労から脱退して鉄労に加盟する組合員も増えていきました。

これに対して、つなぎ止めるための方策を練るわけですが、妙案は有りませんでした。

また、国労自身は、1970年の秋頃まではさほど重要視はしていなかったと自ら告白しています。

むしろ、国労本部には、「反合理化闘争」と「スト権奪還闘争」に主眼が置かれていたと言われています。

国鉄労働組合四〇年史では以下のように記されています。

運動の軸は、組織力の着実な前進を基礎に、「反合闘争」と念願の「スト権奪還闘争」に置かれていた。このため、「マル生」運動に対し、「非人道的、人権無視の行為・・・国労に対する全面的な組織破壊の挑戦」で有るとの認識は、未だ明確ではなかった。

とありますように、国労本部の認識は、生産性運動はさほど重要視されていなかったとされています。

この方針が変更され、本部が本腰を入れ始めたのは、1970年の11月から12月にかけて国労動労)から鉄労への大量脱退が認められたからでした。
こうした脱退が地本単位で、報告されていました。
これに関しては、以前の組織攻撃とは規模においても手段においても異なっているとしています。【国労側の見解】
そこで、改めて国労本部でも生産性運動に関して本腰を入れることとなり、1971年1月、正月返上で対策が練られることとなりました。

国労が取った手段は,「国鉄一家意識」の払拭

国労からの大量脱退を目の当たりにして、国労が取った手段は国鉄一家意識(後藤新平が語った言葉とされており、従業員は駅長を父として、助役を母と慕い,あたかも家族の如く友愛を持って業務に当たるべしとしたもので、国鉄の中における家族主義と言えるものでした)の払拭を呼びかけ、階級意識 *1による労働組合運動を継続すべきであるとしていました。

その辺を再び、国鉄労働組合四〇年史に求めてみますと、以下のような記述を見ることが出来ます。

「階級的組合運動」は階級意識とは国鉄再建の「障害物」であるとされ、「全面否定の攻撃」がかけられているさなか、その対象者である一人ひとりの組合員と国労組織が、なにをもってすれば反撃に転じうるか、なんと言ってもそれは仲間と組織に対する熱い期待と信頼以外にはない。それを確認した右の意思統一は、その後の「マル生」闘争の質を基礎づけた。

としています。

ここで、改めて階級闘争とは何か?

簡単に振り返っておきたいと思います。

階級闘争とは、プロレタリアート(労働者階級はブルジョア階級に搾取されているという考え方)が根底にあり、国鉄労働者の場合は、助役以上の役職者をブルジョア階級と位置づけ、彼らに自信の労働力は搾取されていると言う考え方)となります。

実際には、国鉄は独立採算制を求められているとは言え、政府の機関であり、賃金決定権も最終的には政府に握られている以上、役職者が資本家階級にはなり得ないことは十分判っているのですが、それを明確化すると組合運動自体が成り立たなくなるので、その辺を曖昧模糊として、何となく助役や駅長などが資本家階級の手先であると言って、分断工作を図ってきた訳です。

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国労による職場からの告発運動

国労は、職場での告発運動を展開することとなり、現場からの告発メモを元に交渉の材料としていました。

職員一人ひとりが現認メモ(摘発メモ帳)と書かれた小さなノートを所持して、その都度不当労働行為と認められものを告発するというものです。
助役以上の役職者による組合を変われという発言などは不当労働行為となるのですが、そうした事実があるとしてその都度確認するとし、当局との間で、

  1. 不当労働行為の疑いを持たれるようなことは、今後やらないよう十分指導、徹底する
  2. 局の過員し大して、組合所属の差別的扱いはしない
  3. 鉄労への加入慫慂(しょうよう)などは組織介入であり、やれるものでもないし、やらない

と言った確認が管理局単位で組合との間で行われたようです、国労のとしては、現場管理者レベルでは、こうした確認事項が守られず、相変わらず所属による差別的扱い等が行われていたという証言もあり、実際に露骨な鉄労への加入慫慂までは無かったとしても、全く無かったと言い切れないのではないかと思います。

組合による昇進差別的扱いについても、私が郵政局に勤務していた1990年頃でも、全逓組合員と全郵政組合員ではその扱いに差が【係長は現場管理者経験者ですが、郵政局では組合員になれるわけで、全郵政資格美愛員は居ませんでした、必然的に全逓の組合員は現場に一度出ると郵政局に帰ってこれないと言われたりしたものでした。】ありましたので、1971年当時の国鉄では、更に露骨な対処がなされていた可能性は否定できません。
もっとも、国労の資料だけでもちろん判断するわけではありませんし、鉄労だけの資料で同じく判断するわけではなく、総合的に判断するようにしています。

結果的に、こうした確認事項があったとしても、決定的な事項がないことから、不当労働行為があったのか、無かったのかは、言ったいわないの水掛け論となっていくのでした。

その後、マスコミによる現場でのオフレコ発言が録音されて、如何にも不当労働行為を助長しているような発言した助役がいたとしてそれが問題視されることになるのですが、その辺は改めて次回にアップしたいと思います。

 

続く

 

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*1:組合が言う階級意識は、マルクス主義による階級闘争を指すものであり、プロレタリアート【労働者階級】によるブルジョア【資本家階級】を打倒すべきであるとしたもの。ただし、現在の新自由主義の誤りは、多くの非正規労働者を生み出すこととなり新たなプロレタリアートを生み出している結果となって居ることにも注目する必要があります。