今回も、生産性運動に関するお話を、鉄労の「国鉄民主化への道」並びに、大野光基氏の「国鉄を売った官僚たち」を参考にしながら、他の資料なども参照して、お話を進めさせていただきます。
国労は、マスコミを利用して生産性運動に対抗することに
国労は、昭和45年後半から本格的な反撃に出るのですが、こうした場合、例えば国労の資料だけを見ると国労有利な記述になり、鉄労主体で見ると鉄労有利な記述となり、当然のことながら当局側視点に立つと当局有利となるのはやむを得ないところがあるのですが、どうも時期的な部分や、細かいところで見解が異なる記述があったりして、その整合性をどのように取るべきか少し頭を悩ませています。苦笑
まぁ、そこをどのように整理していくか、もしくは追加の資料を探していくべきかと頭を悩ませています。苦笑
ただ、国労としてもマスコミを使おうとしたことはほぼ間違い無いようで、マスコミ共闘会議を紹介された後に、毎日新聞の記者、内藤国夫が、国労の幹部と会って、新聞沙汰になる記事を引き受けたとするのが、道も流れとしてはすっきりするようです。
国労が国鉄当局に潰されるという情報をマスコミに流す
最初の、「マスコミ・文化労働組合共闘会議(略称・マスコミ共闘)のメンバーを紹介される。」というのは、国労弁護団と恒例の忘年会席上で出た話が具体化したというもので、国鉄民主化への道で以下のように書かれています。
引用したいとおもいます。
あれはたしか1970年の年末だったと思う、恒例の国労弁護団の忘年会だった。(中略)この私の話を聞いてくださったのが弁護団の一人である小島成一先生である。先生は酒を飲まれなかったようにおもう。その先生が酒を飲みながらの私の話に頷きながら、「酒井さん、それならばいい人を紹介しよう」とのこと。主席から出た話が実を結ぶことになった。それが反マル生闘争の陰で活躍した「宣伝プロジェクト」である。小島先生から紹介されたのは宣伝を本職とするマスコミ共闘の面々であり、その中心がマスコミ共闘事務局長の隅井さんであった。
また、ここで、1億円の闘争費用を出すこととしたとも書かれているのですが、これは多分、「ここが変だよ生産性運動」等の印刷物に使った費用と思われ、記者に金が流れたというわけではなさそうです。
次の、「毎日新聞社の新聞記者が、国労幹部と会った」と有るのは、同じ年〈1970年)の年末に、中川新一国労委員長、酒井一三書記長、富塚三夫企画部長に毎日新聞記者内藤国夫が呼び出されたことが切っ掛けでした。
戦後の労働運動を牽引してきた、国労が潰されかかっていると言われ、内藤国夫が、労働記者クラブの記者諸氏の競争心をあおり立てると言う作戦を展開することにしたと記しています。
その辺を、「国鉄を売った官僚たち」から引用してみようと思います。
戦後の労働運動の牽引車的役割を果たしてきたと自負する国鉄労働組合が、いま、つぶされかかっている、というのだからコトは穏やかではなかった」
そこで、内藤は次のような作戦を立てた。
「まずは毎日新聞が独走することで、労働記者クラブの記者諸氏の競争心をあおりたて、やがて『新聞ザタ』洪水を起こそう、との作戦」(『一人ひとりがつくる労働組合を』より)
引用終わり
とあるように、国労が潰されかかっているというので、マスコミが一肌脱ごうという事になったわけで、早速色々な記事を書いて、謂わば国労に有利になるような記事を書きまくったとされています。
そのときの心持ちは、組合の機関紙に書くような気持ちで書いたと記しています。
再び、国鉄を売った官僚たちから引用させていただこうと思います。
「5月19日の夕刻、上野駅から新聞社に戻った私は、まるで労働組合の機関紙に書くような気持ちで、現場の組合員たちの訴えを記事にした・・・中略・・・一字一句、直されず、私の書いたままの記事が社会面のトップに載っている。私はそのゲラを持って国労本部へとかけつけた
ただし、こうした記事自体は、新聞ザタにはならなかったものの、その起爆剤となった事は間違い無く、朝日新聞がこの作戦に乗ってきたのは、朝日新聞であったそうです。
事もあろうか、ヤラセ投稿を行ったというのです。
架空の人格を作って、自宅まで来て組合を変われと強要されたという投書を「声」欄にとうこうしたわのですが、この投書は、後に、鉄労の調査で、架空の職員であることが判明したわけでした。朝日新聞は知っていながらそのまま掲載したのであろうとされています。
毎日新聞の記事が起爆剤となって、飛び火
実際に、毎日新聞が殆ど毎日、マル生運動に関する記事を書くとなると、朝日新聞としては書かざるを得なくなるわけで、こうなってくると国労の思うつぼとと言いますか、競争で記事を書こうとするし、積極的に国労に記事を取りに行き、朝日・毎日が続くと、読売もやはり関心を持たざるを得ずという形となり、そこにサンケイが時々加わるというイメージでした。
こうなってくると、各マスコミは、国労の良いように情報をコントロールされる状態になっていったと言えそうです。
多分、この時点で国労は、生産性運動に対する勝機を得たと言えるのではないでしょうか。
毎日新聞が連日、国労に関する記事を出すものですから、朝日新聞も追随することとなるのですが、個々で朝日新聞はあるミスをしてしまいます。
それは、国労が提供した記事をよく検証しないままに、記事にしてしまった(いわゆる誤報)のでした。
新聞が国鉄の生産性運動を、組合対策、神がかり、復古調というように批判的に取り上げた記事だったのですが、中央学園歌として紹介されているのは、明らかに間違っているのに、新聞社は確認もしないでそのまま国労が提供した記事を掲載したと言うことが露見したというものでした。
その辺を『国鉄を売った官僚たち』から再び引用させていただきます。
『国鉄の吹き荒れる生産性運動」「われ再建の人柱、オレがやらなきゃだれがやる」「暗夜の儀式」「復古調」「ケチケチ」「組合対策」「対立」と見出しをみただけでも、生産性運動つぶしを露骨に狙った全く意図的な記事であることが分かる。
特集記事はなんともひどいことに、国労資料をそっくり載せておりながら、あたかも『朝日新聞』が独自に取材したかのようなかきかたをしているのだ。」
として、中央鉄道学園歌として紹介しているのは、鉄道研究社発行の国鉄職員向け雑誌『フォアマン』に掲載された、生産性運動に関する歌をそのまま中央鉄道学園の学園歌として紹介したものであった。
普通に読めば学園で、「再建」とか「生産性」と言った言葉が出てくるわけがない(元々、学園は中立的意味合いが強く、生産性運動に関しても強く難色を示していた)わけで、その原因は、国労からもらった資料の内、国労教育宣伝部発行の『生産性運動の原理と国鉄における実態ー俺がやらねば誰がやる』というパンフレットの中に、「中央鉄道学園の歌詞」として、誤って先ほどの歌が掲載されていたため、そのまま転用してしまったことが原因であったそうです。
続く
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