日本国有鉄道 労働運動史(別館)

国鉄で行われた生産性運動、通称マル生運動に関する関連資料をアップしていくブログです

生産性運動導入から、中止まで 第七話

今回も、生産性運動に関して、今回も大野氏の本を底本として、私なりの解説などを加えさせていただこうと思います。

生産性運動は、現場の若手を中心に盛り上がりを見せ、鶯谷駅における朝ラッシュ時、鴬の声を流すのは、当時の駅員からのアイデァであるとされており、そのきっかけは、生産性運動であったことは、前回書かせていただきました。

生産性運動は、国鉄の中で浸透
そんな風に、国鉄の現場では、それこそ熱狂的とも言えそうです。

① 自主的勉強会
② 生産性掲示板や生産性大看板の掲出
③ 生産性職場報の自主発行
④ 生産性推進チームの結成
⑤ 違法ストへの不参加・反対運動など
⑥ その他具体的な実践活動

等に分類できると書かれており、実際に自主的勉強会は、いわゆる「カイゼン」活動であり、現場ならではの工夫などが披瀝されたそうです。

少しだけ引用してみたいと思います。

引用ここから

勉強会の一つである池袋電車区の模様を、昭和46年1月28日付の「交通新聞」は次のように書いている。
「仕事の終わった時間を見計らって勉強会が始まるのだが、三階の講習室に集まってくるのは油だらけのナッパ服の検修掛や制服の胸にまだ「運転士」の名札を付けたままの乗務員などだ。
討論が始まると室内はたちまち熱気をおびてくる、『パンタグラフの除雪方法』 『電車の折り返し時のドアスイッチの取扱方』 『増収対策としての車内広告』など、さすが現場だけに細かい具体的なテーマが多いが、いずれも事故防止、営業開発など債権の柱とも言うべき大きな問題ばかりである」


引用終わり

生産性運動推進グループが誕生
また、生産性運動推進グループが全国各地で誕生したそうです。
私の父親が勤務していました、天鉄局でも、多くの生産瀬運動拠点が誕生したようで、生産性ニュース8月25日号には、下記のように書かれていました。
鳳保線区に「大鳥会」が誕生、他にも「8月2日に生産性運動和歌山連絡協議会」が誕生、さらに、亀山客貨車区、熊取駅、串本、紀伊勝浦連区に生産性グループが誕生、天王寺駅では、7月31日に生産性大会を開催した・・・
他には、釧路局の上士幌保線支区に「しゃくなげ会」釧路保線区に「いちい会」が誕生、門司局の本局に「明門会」【会員1000人】が7月17日に、門司港駅に「みなと会」が誕生した。・・・というふうに全国的に多くのこうしたチームが誕生しました。

こうした生産性活動は徐々に広がりを見せ始めました、その中でももっとも頭を痛めていたのは、国労動労の違法スト及び順法闘争と言われたサポタージュに対する対策であり、また国労動労は組織として、生産性運動の批判を行ったわけですが、結果的には、生産性研修を受けた推進チームはやがて国労動労に対する抵抗勢力として、育っていくこととなり、その流れは最早、地区・管理局・地域ブロックと言った枠を越えて広まりつつありましたが、こうした推進チームの活動費は全て手弁当であり、また活動費も資金カンパによる細々としたものであり、労働組合からの潤沢な資金がある、国労動労の反撃には抵抗すべく術もありませんでした。

 

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