日本国有鉄道 労働運動史(別館)

国鉄で行われた生産性運動、通称マル生運動に関する関連資料をアップしていくブログです

生産性運動導入から、中止まで 第八話

本日も、生産性運動導入から、中止までの第八話として。お話を進めさせていただこうと思います。

参照しているのは、「国鉄を売った官僚達たち」、鉄労編纂の「国鉄民主化への道」などを参照しながら。書かせてもらっていきます。

マル生運動の成果?スト破りする国労動労組合員

生産性運動は、職員の意識改革が大きかったようで、国労動労に所属したまま、スト破り(ストライキに参加しないこと)を行う組合員もいたそうで、生産性運動を受講して、自らの意識として、国労の運動について行けないと感じる組合員が一定数いたと言うことになります。
実際、昭和46年5月20日には首都圏でストライキが行われ、旅客列車だけで2,624本の電車が運休しますが、首都圏全体では実に60%の電車が国労動労のストにも関わらず動いたと言われています。

弊サイト、国鉄があった時代を参照しますと下記のように記されています。

国電スト 5/20

調停作業は徹夜で続けられ、20日早朝、峯村調停委員長によって、8%+2,300円の案が提示されたが、労働側の反対で調停は不調となり、仲裁裁定へと移行することとなった
一方、両組合は20日午前0時を期して全日ストに突入し、19時の中止命令までに、東京の国電を始め、中部、関西、東北の各地で、旅客計2,624本、貨物計1,724本、客貨合計4,348本の運休を含め、ダイヤの大騒な乱れを生じた

鉄労+マル生運動グループが運転を確保

その理由は、鉄労組合員の働きと。職制(管理者)による運転が行われたこともありますが、スト指令を受けながらもスト破り(ストライキに参加しない動労国労の組合員)があった事実も注目しておく必要がありそうです。

このように、マル生運動では不当労働行為が行われて、鉄労に加盟させることを職分としたした助役がいたとか、当局が組織ぐるみで不当労働行為をさせたと言った記事をよく見かけますが、実際はこのように違っていたと言うことにも注目していただきたいと思います。

さらに、国鉄職員が組合を変わるのは自由意志であるため、生産性運動が始まる前後くらいから自発的に、組合を変わる人が増えていったそうで、その後生産性運動により、その動きが加速したわけです。

国労が、マル生グループが(電車を)運転しているんだと指摘

実際、マル生資料集のなかでの座談会で、国労中央執行部の幹部は、下記のように回想しています。

あの時は、電車が動いたからね。だからオレは東京地本に文句を言って「おまえらストライキでも電車動かすのか」と言ったら「動かすんでなく動いているんだ」(笑声)「動いているんなら、止まるまでストライキだ」と言ったことがあるけどね。職制とマル生グループが動かしておったですからね。

ということで、鉄労とは言わず、「マル生グループ」と言う点に注目してください。
すなわち、国労動労でも、生産性教育を受けた組合員がスト破りをしたことを暗に認めていたと言えそうです。

更にこれを裏付ける話としては、東京三局の発表によると、東京北局で41%、東京西局で56%、東京南局が43%、東京三局併せて約五三〇〇〇人のうち、実に45%にあたる約25000人がストライキ反対の意思表示をしたと発表しています。

国鉄民主化への道」からその部分を引用してみたいと思います。

 当局三局の各総務部長が記者会見して「北局が18,925人中41%、西局が12,706人中56%、南局が22,140人中43%、3局合わせて53,771人のうち、45%にあたる24,292人がスト反対の意思表示をした」と発表した。このうち、鉄労組合員6,500人を除くと、国労37%、動労17%がスト反対の意思表示と言うことになる。

となっています。
少し話は前後するのですが、上述のように、国労から徐々に鉄労への移籍が進んで行くのですが、国労も組合員が減少していくことをただ指をくわえてみていただけではありませんでした。

反論に躍起となる国労執行部

昭和46年1月から機関紙の「国労新聞」には、「クタバレ生産性運動」(後に、「ウソだよ生産性運動」に改題)を連載、生産性運動自体を潰そうと考えたようです。

少しその例を挙げてみますと、下記のようなものがあったようです。

「生産性運動とは?一に洗脳。二に盲従、三,四で搾られ、五で追われ」とか

「赤く咲くのはけしの花、白く咲くのはゆりの花」と歌った漫画(宇多田ヒカルの母親、藤圭子の「圭子の夢は夜ひらく」と言う歌をもじったというか、そのまま流用したもので、赤く咲く=労働者、白く咲く=資本階級(ここでは当局)であるとして、労働者階級はどこまでも搾取されるだけと言ういわゆる階級闘争を訴えたかったものいえます。

実際に、50代後半の方であれば、この曲を直接耳にしたことがある方も多いのではないかと思いますが、非常に暗くどちらかというと人生終わった・・・的な雰囲気を感じさせる歌でした。
まぁ、ネットで「人生オワッタ」・・・的に書くような感じではなく、本当に悲壮というか、明日すらないというイメージで歌われていたものでした。
その辺を上手く、取り込んで、国労は、資本家(当局)は、我々労働者階級はただただ搾取されるだけの存在であるという刷り込みを図っていたようです。

当局自らも賃金も運賃値上げも決定できないわけで、資本家でも何でも無いのですが、国労の執行部としては、当局は資本家の手先であるとしないと、具合が悪かったのでしょう。

実際には、国労幹部クラスは当局の幹部と癒着して行くのですが、その辺のお話は次回にさせていただこうと思います。

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