日本国有鉄道 労働運動史(別館)

国鉄で行われた生産性運動、通称マル生運動に関する関連資料をアップしていくブログです

生産性運動導入から、中止まで 第四話

組合の分析も全く的外れとも言えないのですが、結果的には多くの職員が、国労動労を離れ、鉄労に移籍することとなっていくことになるのですが、この辺は、次回に書かせていただきます。

と書かせていただきましたが、その前に生産性運動に関するエピソードの中から、幾つか興味をひくものをリストアップさせていただこうと思います。
生産性運動は当初は、実効性が何処まであるのかという思いもあったようですが、その成果は燎原の火の如く広がっていったようで、中央鉄道学園や、地方の鉄道学園でも指導者自らも積極的に生産性運動に参加しており、生産性運動は、成功するかのように見えました。
以下、中央鉄道学園長や地方の鉄道学園の事例などを挙げさせていただきました。

中央鉄道学園長の場合
中央鉄道学園学園長として着任した、山岸勘六学長の場合は、自らも研修に参加し、生産性運動の先頭に立つことを自ら宣言しています。

青年対象の生産性運動に無理矢理参加した中高年の管理者の場合
福知山鉄道管理局の鉄道学園、吉岡教頭と労働課河本課長と呼ばれる二人の中高年者が、生産性本部主催の生産性青年大会に参加したというエピソードです。
 民間企業280人、国鉄からも16人の若手職員に混じって、参加していたそうで、生産性本部では、若手でないと困ると何度も断ったそうですが、自ら年休を取って現地に押しかけ、若者に混じって10日間のキャンプ生活をしたと記録されています。

さらに、これに感化されたのか、福知山鉄道学園長は下記のような行動をしたそうです、「国鉄を売った官僚たち 大野光基著」から引用してみたいと思います。

引用ここから

 又、福知山鉄道学園長もジッとしておれなくなり
「お前、私を学園長室に閉じこめて、この歴史的一ページに何の関係もなかった"額縁"長で終わらせるつもりか。私は実践教育の先頭に立ちたいんや」
とエライ気合いで、中央鉄道学園の第一回生産性指導員研修に参加したほどだった。


引用終わり

といった具合で、生産性運動の当初は、現場そして地方の鉄道学園などでは生産性運動が大きなうねりとなりつつありました。

研修を受けた職員も大いに生産性運動の理念に共感して、生産生運動の理念を多くの人に伝えようと生産性運動の話をする頼もしい職員もいたそうで、「いま俺たちがやらなければ!」ということで、演説する人等、現場の推進役になってくれる人もいる反面、当然批判する人もいるわけで、その辺の事情を、再び「国鉄を売った官僚たち 大野光基著」から引用してみたいと思います。

引用ここから

 中央や地方学園で研修を受けた人たちの多くは、職場に帰ると手当たり次第に仲間に生産性の話をする。松本車掌区車掌・H氏(本では氏名が出ているが省略)は30人の仲間を集めて
「いま俺たちがやらなければ!」
と一発ぶち上げたという。また、大阪宮原電車区では150人の全職員【民青もいた】を集めた前で、生産性指導員研修から帰ったばかりのAがぶち上げた。場内は静まりかえり、ヤジ一つなかったという。翌日の「民青新聞」に
『聴いているうちに背筋が寒くなってきた・・・・」
と書いてあったらしい


引用終わり

と言うことで、国鉄の現場では、生産性運動は浸透しつつありましたが、上意下達に慣れてしまっている国鉄の組織では、まだまだ生産性運動を学んだものとそうでないものとの間の温度差はありましたし、国鉄本社の幹部にもこうした生産性運動等には関心がない人も数多くいたことも事実でした。

続く

 

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