日本国有鉄道 労働運動史(別館)

国鉄で行われた生産性運動、通称マル生運動に関する関連資料をアップしていくブログです

生産性運動導入から、中止まで 第二話

管理局への生産性運動の導入
生産性運動は、先にも記しましたように、昭和45年4月11日から始まるのですが、生産性運動の理念を理解した職員が現場に戻っても、肝心の管理局に生産性運動を理解していないと、元の木阿弥になってしまうことから、研修生の中からも管理局のバックアップを望む声が大きくなってきました。

国鉄を売った官僚たちから引用させていただこうと思います。

引用開始・・・・


ところが、現場だけが生産性教育をやっても、管理局に生産性運動の理解者がいなければ困る事態が方々で発生してきた。研修生の中からも管理局のバックアップを望む声が強くなった。そこで、5月8日から13日にかけて第一回生産性指導者研修会(PCコース)を実施し、本社・管理局の係長クラス及び学園講師を参加させた。私も一研修生としてこの研修会に加わった。

・・・引用終わり

管理局の課長クラスが参加した生産性運動

その後、第二回は7月10日から15日かけて行われ、課長クラスの研修を求める声が管理局から強くあり、全員管理局の課長が受講したそうです。
更に、8月には二回に分けて課長クラスの生産性教育を行い、そのスタートは順調に思えました。
実際、長野局のI人事課長は、土曜日朝から15:00頃まで人事課員を集めて生産性理念を熱く語り、翌週から松本運転所などを精力的に回るなど、数多くの管理局の管理者が生産性の理念を熱く語ったと言われています。

このように、生産性教育は、燎原の火の如く広がっていき、更なる生産性教育の拡充を行うこととなり、指導者の養成を含めて行われることとなりました。
再び、引用してみたいと思います。

引用開始・・・・


 昭和45年8月17日に職員局長名をもって、『生産性教育について』という通牒を全国の全機関に発送した。その内容は、今後全ての講習会、研修会議において生産性研修を行うという画期的なものであった。そのために9月から翌年の3月にかけて、中央鉄道学園で約600人の生産性教育の指導者を養成するというものだった。このため、能力開発課・丸山補佐が中心となって『生産性指導員研修テキスト(国鉄専用)』が作成された。
 第一回生産性指導員研修は、9月24日から10月3日まで10日間連続コースで行われた。と
ころが、地方学園の中にはこの大たちが研修を終わって帰るやいなや、早くも10月6日から地方研修を始めたところがある。

・・・引用終わり

とうことで、生産性運動は予想以上の好調なスタートを切ることになりました。

続く

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